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​君の鼓動に、くちづけを。

​作:月宮はる

​利用規約をご一読ください。

 

 

 

【所要時間】

約1時間

 

 

 

 

【登場人物】

 

⻄村 美咲(27)…都内で雑誌の編集者として働いている。

三年前に最愛の⼈を事故で亡くし てから、⼈間関係、特に恋愛に関しては⼼を閉ざしている。

 

松下 ⼀真(28)…美咲の会社と新たに提携を組んだ他会社のデザイナー。

病弱ではあるものの、いつも優しく穏やかで周りからの信頼も厚い。

美咲とタッグを組む事になる。

 

⽻⽥野 雄⼀(26)…美咲のかつての恋⼈であり、映像作品のアシスタントディレクターとして働いていた。

不慮の事故で脳死状態となり、⼼臓移植のドナーになる。

 

羽田野沙也加(32)…雄⼀の姉。

雄⼀の死後も美咲と連絡をとっており仲はいいものの、い つまでも雄⼀の記憶にとらわれているのではないかと案じている。

 

 

(よろしければ、上演時は以下をコピペしてお使いください)

 

『君の鼓動に、くちづけを。』

https://harutsukimiya.wixsite.com/voice/heart-kiss

西村美咲:

松下一真・羽田野雄一:

羽田野沙也加:

_____________________________________________________________________________

 

 

美咲M:それは、よく晴れた日の朝だった。

 

雄一(回想):じゃあ、行ってくる。今日は早めに帰ってくるから。

 

美咲M:そう言った彼の笑顔が、あの明るく弾んだ声が、三年経った今でも記憶の奥で小さく疼く。

5月20日。この日が来るたび、私はもう届かないその面影に手を伸ばしてしまうのだった。

 

美咲:雄一の…ばか。

美咲M:私と雄一は、大学時代に同じ映画製作サークルで出会い、まもなく付き合い始めた。

彼の笑顔が、彼の声が、彼の瞳が、私の生活の全てを優しく包んで、「幸せ」の意味を教えてくれた。

お互いに社会人になり、雄一は映像制作会社、私は出版社で働きながら、結婚も視野に入れつつ過ごしていたある日。

雄一と過ごす3回目の誕生日だった。

 

雄一:美咲、今年はケーキ何がいい?

 

美咲:私が好きなの知ってるでしょ(笑)いつものやつがいい!

 

雄一:相変わらずあそこの店好きだよなぁ(笑)今日はいつもより早く仕事終わりそうなんだ。

帰ってきたら二人でお祝いな。

洒落たディナーとか連れて行ってやれなくてごめん。

 

美咲:ううん、雄一とケーキ食べられるだけで十分!私も今日は早めに帰るね。

 

雄一:…ありがとうな、美咲。じゃあ、行ってきます。

 

 

美咲M:これが最後の会話になるなんて、夢にも思わなかった。

三年経った今も、彼の死を受け入れるというよりは、彼のいない日常に心が麻痺したという方が正しいのかもしれない。

仕事からの帰り道、彼のお母さんからもらった電話でただ事でないとを悟り、病院に駆けつけた。

でも、私が何度名前を呼んでも、彼が、雄一が目を開けることはなかった。

…居眠り運転のトラックと衝突。傍らには、潰れたケーキの箱。

ポケットには、歪んだ手のひらサイズのリングケースが入っていたらしく、そっと手渡された。

箱の中で輝く小さな星。雄一と私が、ともに過ごした証。

当時の私には周りの音が何一つ届かず、気づけば葬儀、四十九日と時間は無慈悲に流れ去った。

それから約半年の間、私は仕事を休職し、ひたすら家にこもる生活を送ることになる。

事故からしばらく経ったある日、私は雄一が心臓移植のドナーになったことを聞いた。

人一倍繊細で優しかった雄一の記憶を反芻し、愛した人を失った痛みに震えながら、私は心に鍵をかけたのだった。

 

 

 

【美咲が働く出版社のオフィス】

 

美咲:おはようございます。

…あ、山内さん、今月号の企画、ラフは完成したので後でチェックお願いします。はい。

例の連載の会議、今日でしたよね。先方さんの到着は予定通り14時だそうです。よろしくお願いします。

 

美咲M:今日のタスクの確認を終え、会議の準備に取り掛かる。

来月からとある雑誌に、ぶらり旅や老舗を取り扱う連載を投稿することが決まったのだが、

これがなかなかに期待値の高いものなのだそうだ。

他会社のデザイナーさんなどとも連携するなど、うちとしてもかなり意気込んでいる企画らしい。

今私がこうして問題なく生活できているのは、ひとえに休職からの復帰を後押ししてくれた部長のおかげであり、

この仕事が充実しているからだった。

彼がいなくなっても、世界はまるで何もなかったかのように回り続けるんだから。

 

美咲:あっ、はい!いま行きます!

 

 

 

美咲:はじめまして、本日は弊社までご足労いただきましてありがとうございます。

私は編集部の西村です。どうぞよろしくお願いいたします。

 

美咲M:目の前には日頃からやり取りをしていた相手会社の編集部の女性と、初めて会う同い年くらいの男性が立っていた。

 

一真:…はじめまして、デザイン担当の松下です。

 

美咲:え…っ

 

美咲M:記憶の奥底で響き続けていた、大好きな声。聞き間違えるわけがない。

ずっとずっと、忘れられない、雄一の声がした。

 

一真:えっと…

 

美咲:…え、あ、す、すみません!

 

一真:よろしくお願いします。

 

美咲M:慌てて名刺を受け取ると、目の前の男性、松下さんは一瞬驚いた顔をして、小さく微笑んだ。

改めてのぞいたその瞳は、とても優しく、懐かしく、私の心臓を突いた。

会議中も私はどこか上の空で、胸の奥で渦巻いている不思議な違和感の正体を探り続けた。

 

 

一真: 今日は、ありがとうございました。

僕はまだこの仕事を始めて二年目で未熟なところも多いんですが、初めての大きな案件ですし、とても楽しみです。

…それと、西村さん。

 

美咲:…っ、はい。

 

一真:僕の勘違いだったら申し訳ないんですけど…どこかで、お会いしたことありましたっけ。

 

美咲M:会議後のエレベーターホール。たまたま松下さんと二人になった時、そんな言葉を投げかけられた。

「西村さん」

聞き慣れた声。ぎこちない呼ばれ方。心の隅が小さく揺れる。

 

美咲:いえ…今日が初めてだと思います。

 

一真:そ、そうですよね。なんか、ナンパみたいに聞こえてしまったら…すみません。

ただ本当に、西村さんとはなんとなく初めてお会いした気がしなかったので。

これからのプロジェクト、改めてよろしくお願いします。

 

美咲M:そのタイミングで先ほどの編集部の女性が戻ってきたため、松下さんとの話は途絶え、私は二人の乗ったエレベーターを見送った。

 

生まれ変わりなどというものは本当に存在するのだろうか。

いや、もし仮にあったとしても、松下さんの年齢的に辻褄が合わなくなってしまう。

あの声とぼんやりと面影を残す瞳がもう一度頭をかすめる。ただの思い過ごしか、あるいは願望に近いものなのだろう。

静かに震え続ける心を抑えるには、そう言い聞かせるほかなかった。

 

 

 

【会社の会議室にて】

一真:では、ここの色調をもう少し明るめに、この部分は余白を削って再度レイアウトを練り直しますね。

…あ、そうだ西村さん、今日この後ってまだお仕事の予定入っていますか?

 

美咲:いえ、今日はこの打ち合わせが最後です。

 

一真:よかった。実はこれから、来月取材予定のお店に行こうと思ってるんです。

デザインにも良いインスピレーションをもらえる気がして。

実際の雰囲気は知っておいて損はないかなと思うんですけど、よかったら一緒にどうですか?

 

美咲M:松下さんと打ち合わせを重ねるようになって一ヶ月ほどたったある日。

あれから私たちは週に二、三度は顔を合わせ、企画の案について話し合った。

会社の読み通り、この連載は広い層から人気を集め、売上も徐々に伸びてきているという。

私も仕事だからと割り切り、彼を通して雄一を思い出すことも少なくなっていた。

 

美咲:わかりました。この部分だけまとめたら、行きましょう。

 

 

 

【人の少ない道を歩く二人】

 

一真:えっと…この辺りですね。あ、ありました!このアンティークカフェです。

 

 

美咲:っ…

 

美咲M:松下さんが足を止めたのは、私と雄一が大学時代に気に入ってよく訪れたカフェだった。

セレクトショップも兼ねているこのお店の雰囲気が好きで、お互いへのプレゼントもここで買って贈りあったこともあった。

 

一真:…?西村さん…?

 

美咲:…あっ、すみません。実は以前来たことがある場所だったので、その…懐かしくて。

 

一真:そうだったんですか!僕は初めてなんですけど…なんだかすごく好きです、こういう雰囲気。

 

美咲:素敵な雑貨も売られていて、すごく良いお店ですよ。…そういえば松下さん、写真も撮られるんですか?

 

一真:(肩にかけたカメラを見ながら)はい。

デザイナーとしての仕事以外に写真を担当させてもらうこともあります。

 

 

 

美咲M:顔立ちはさほど似ていないのに、カメラを手にする姿はどこか雄一の影をまとっているようだった。

お店の中を見て回っている時も、ぼんやりとその後ろ姿を捉えては、少し色あせた背中を思い出してしまう。

この三年の間に、なんとか自分の中の彼を過去としてしまい込めたと思っていたのに。

 

 

 

一真:あっ、西村さん見てください、これなんか可愛くないですか(笑)

 

 

 

美咲M:子供のように笑う松下さんが手に取っていたものを見て、私の心臓はひときわ大きく波打った。

それは、いつの日か雄一が私にプレゼントしてくれた小さなウサギの置物だった。

…上手く返事ができていたかどうか、自分でもよく覚えていない。

気づけば取材先の確認も終わり、オレンジ色に染まる空の下、駅への道を歩いていた。

 

 

 

一真:西村さん。

 

 

美咲:…はい。

 

 

一真:今日、具合悪かったりしませんでした?どこか上の空だった気がして、心配で。

 

 

美咲:あ…いえ、なんでもないんです。ご心配おかけして、すみませんでした。

 

 

一真:それなら、いいんです。…そういえば、僕がこの仕事に就くことになった経緯ってお話ししたことありましたっけ?

 

 

美咲M:松下さんは、急に明るい口調でそう尋ねてきた。

初めてお話しした時、新人ながら相当腕を見込まれているらしいとは聞いていたけれど、思えばあまり仕事以外の会話をしたことはなかった。

 

 

 

一真:僕、元々はこういうデザインや出版業界には程遠い人間だったんです。

三年前までは体が弱かったこともあってずっと入退院を繰り返すような生活で。

でも、ある時ふとこういう芸術分野に急に興味が湧いたんですよ。

それが今じゃ仕事にまで繋がってるって、人間、本当に何があるかわからないですよね。

 

 

 

美咲M:夕日と同じ色に染まる横顔には、先ほどまで見え隠れしていた雄一の影はなかった。

松下さん自身から滲み出る、優しく真っ直ぐな言葉が自分の中に沁みてゆく。

 

 

 

一真:写真を好きになったのもちょうどその頃からなんです。

写真って、一瞬の美しさをずっと残しておけるじゃないですか。

自分が今好きだと思った瞬間を、きちんと残しておきたいなって。

だから、好きなことを仕事にさせてもらっている今がすごく幸せなんです。

…あっ、なんかすみません…男の一人語りなんか聞いていても面白くないですよね(笑)

 

 

美咲:いえ、松下さんとお仕事以外の話をあまりしたことがなかったので、なんだか新鮮です。

私も今の仕事は充実していますし楽しいんですが、松下さんみたいなまさに天職という感じでもないので、少し羨ましいです(笑)

 

 

 

美咲M:半ば無意識に顔を逸らしながら話をしてしまうのは、横に雄一がいるような気分になるからだった。

 

 

 

一真:西村さんが担当された記事いくつか拝見したんですが、どれもとても素敵でした。

言葉の選び方がすごく丁寧というか。内容がすんなりと入ってくるんです。

 

 

美咲:そう言っていただけると嬉しいです。…今日はありがとうございました。色々お話もできてよかったです。

 

 

一真:こちらこそ、急なお誘いだったのにありがとうございました。次回お会いする時までに修正案も用意しておきますね。では、また後日。

 

 

 

美咲M:軽く会釈をして、反対側のホームへと歩き出す。心の中で埃をかぶっていたはずの思い出が、ゆっくりと広がっていくのを感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

一真M:僕にとって、今を生きることは奇跡の積み重ねだった。

幼い頃から心臓病を患い、食事、運動、趣味、あらゆるものを制限されてきた僕の世界は、

波の一つも立たないままだらだらと過ぎ去っていった。

25歳まで生きられればいい方だと宣告をされて目の前が真っ暗になった日のことは、今でもよく覚えている。

でも、そんな僕は28歳になり、こうしてデザイナー兼フォトグラファーとして働いている。

僕がシャッターを切るのは、神様がくれたもう1つの人生の軌跡を残すためだった。

 

 

 

美咲(回想):編集部の西村です。よろしくお願いいたします。

 

一真M:初めて全面的にデザインを任せてもらえることになった企画の会議で提携先の会社に足を運んだ日のこと。

僕は、人生で初めての一目惚れをした。

いや、好きになったというよりも、「やっと会えた」という懐かしさを感じたのだと思う。

初対面なはずなのに、ずっと前から知っているような、そんな気がした。

日頃は仕事に関する会話しか交わすことがなかったので、僕は少し勇気を出し、西村さんを取材現場の確認に誘った。

時折見せる笑顔、何気無い横顔。不思議と優しい気持ちが流れ込む。

でも、いい歳して今更恋なんてするわけがない…

そう思っていたと同時に、僕は心のどこかで、「幸せ」というものに対して引け目を感じているのかもしれなかった。それは…

 

 

 

 

 

 

 

【美咲の会社近くのカフェで待ち合わせた二人】

 

 

 

 

美咲:あ、松下さん!お疲れ様です。

 

 

一真:お疲れ様です。あ、聞きましたか?

先月の企画、ものすごい反響があったらしくて、あのカフェ今では一時間待ちが当たり前らしいですよ!

 

 

美咲:部長から聞きました!

嬉しい悲鳴だって店長さんも喜ばれていたらしいです。

…でも、穴場感が魅力の場所でもあったので少し寂しい気もしますけど。

 

一真M:そう言って小さく笑う西村さんは、今日も僕と目を合わせてはくれない。

いや、互いの目を見ているのは確かなものの、彼女の瞳はいつも、僕ではない、遠くの誰かを映しているようだった。

 

 

 

一真:西村さん、ちょっと。

 

 

美咲:えっ?

 

 

【SE:カメラのシャッター音】

 

 

一真:(写真を確認しながら)うん、いい感じです(笑)

 

 

美咲:い、今撮りました!?

 

 

一真:後ろの背景がいい感じだったので、つい(笑)…ダメ、でしたか?

 

 

美咲:い、いや、その…びっくりはしました、けど。

 

 

 

一真M:画面に映るその姿はやっぱりどこか懐かしくて、心臓の奥の方が小さな痛みを覚える。

 

 

 

一真:(笑)やっぱり映えるなぁ…

 

 

美咲:…

 

 

一真:…どうかしましたか?

 

 

美咲:いえ、松下さんっていい意味で慎重に写真を撮られるんだなと思って

 

 

一真:慎重、か…お知り合いに、写真をされている方が?

 

 

美咲:…はい。その人はとにかくあちこちにカメラを向けてひっきりなしにシャッターを切る人だったんです。

と言っても、メインは映像製作だったので少し畑は違うのかもしれませんが。

 

 

 

一真M:どこか遠くを見つめる視線に、普段自分に向けられるものと同じ空気を感じた。

 

 

 

一真:なるほど…僕はプロになってまだ日が浅いですし、過ぎていく一瞬をじっくり丁寧に見極めて残したいと思うタイプなんです。

だから、仕事以外の写真はレタッチもほとんどしません。

でもやっぱり、そうやって思うままに勢いよくシャッターを切るのはかっこよくて憧れます。

 

 

美咲:過ぎていく一瞬を、じっくり、丁寧に…松下さんらしいというか、素敵な考えですね。

生き方が現れている気がします。

…そっか、生き急いじゃったのかな。

 

 

一真:え?

 

 

美咲:あ、いえ、なんでもないです。…写真、もしよければ、見せてもらえませんか?

 

 

一真:あ、いいですよ。ちょっと恥ずかしい気もしますけど(笑)…はい。

 

美咲:(カメラを覗き込む)…!

 

 

一真:…どう、ですか。

 

 

美咲:…すごく、素敵だと思います。

 

 

 

一真M:西村さんの瞳が、小さく揺れた。すると、その瞳が今度は僕を捉える。

初めて、彼女と目が合った。

 

 

 

美咲:これからも、松下さんの写真、見てみたいです。

 

 

 

 

 

 

 

美咲M:『写真には、撮る人間の生き方が現れる。』

いつだったか、一緒に写真を撮りながら散歩をしていた時に雄一が教えてくれたことだった。

松下さんの写真を見た時、私は見知った写真の雰囲気と大きく異なるそれに息を呑んだ。

撮り手が違うから当たり前なのだけれど、松下さんのカメラに収められている空間はゆっくりと時が流れ、

映る全てが一瞬の中で確かに生きていた。

こんなにも世界の命を優しく包み込んだ写真を、私はその時初めて目にしたように思う。

…雄一、貴方は、生き急いでしまったの?

過ぎ行く時間を捕まえようとシャッターを切り続けていた笑顔を思い出し、少しだけ視界が歪んだ。

この日を境に、私は本当の意味で松下さん自身と向き合えるようになった気がした。

企画も順調に進み、気がつけば秋。

いつの間にか私の日常には松下さんがいることが当たり前になり、

三年ぶりに、だれかと過ごす時間を心地いいと感じ…惹かれている自分がいた。

ねぇ、雄一。私、貴方と同じくらい、大切にしたいと思える人に出会えたかもしれない。

貴方はきっと、許してくれるよね。

 

 

 

【美咲の会社のオフィス】

 

一真:西村さん、この後会議終わったら時間ありますか?紅葉がすごく綺麗な穴場スポットを見つけたんです。

 

美咲:それってデートのお誘いですか?(笑)

 

一真:えっ!?笑

 

 

美咲:冗談です(笑)行きましょうか!

 

 

 

 

 

 

 

【紅葉スポットに着き、歩く二人】

 

 

 

 

美咲:わぁ…!!本当に綺麗ですね…今ちょうどピークじゃないですか?

 

 

一真:ですね…!…あ、そういえば西村さん、お昼まだですよね。あの辺りで腹ごしらえでもどうですか?

 

 

 

美咲M:そういえばお昼ご飯を食べるのも忘れて打ち合わせに没頭していたのだとようやく思い出した。

松下さんが指差した喫茶店でナポリタンを二つ注文し、なんとなく、窓の外で揺れている紅葉を眺めた。

 

一真:自然って、一瞬で命を燃やしてしまうのに、季節が巡ればまたこうしてたくさんの人を幸せにできる。なんだか不思議ですし、少し羨ましい気もします。

 

 

美咲:…松下さんって、たまに、つかみどころのないことをおっしゃいますよね。

 

一真:そうですか?友人からはポエマーだなんていじられますけど(笑)

 

美咲M:ふとしたときにこぼれ出る松下さんの価値観が好きだった。

でも、これだけ長い間一緒に仕事をして、時にはプライベートな話を重ねたこともあったのに、

私は未だに松下さんという人のことがよくわからなくなる時がある。

いつもどこか寂しげで、何かに心を閉ざしたような瞳をすることがあるから。…その扉に、手を伸ばしたかった。

 

一真:でも、自然を羨ましく思うのは本当です。きっと彼らは、人間の何倍も強くて逞しいですから。

 

美咲:…松下さん。…私、もっと松下さんのことが知りたいです。

 

美咲M:考えるよりも先に、口からこぼれた言葉だった。

彼は一瞬驚いた表情を見せた後、これまでに見たことのない苦しそうな笑みを浮かべた。

 

一真:それは…仕事仲間以上として、という意味ですか?

 

美咲:…っ。

 

一真:確かに僕はこれまで、自分のことについてあまり深入った話をしてこなかったですもんね。

…西村さんの気持ちは、嬉しいです。でも、それに頷くことは難しいかな。

…僕の命は、僕のものじゃないから。

 

 

美咲:松下さんの…ものじゃない…?

 

 

一真:僕は、三年前に心臓の移植手術を受けているんです。

あのタイミングで手術ができていなかったら、僕は生きられなかった。

神様からもらったもう一つの命を、大切に生きようと決めたんです。

でも…なんとなく、生かされているだけでも贅沢なのに、そのさらに上を望むだなんて欲張りなんじゃないかと思うようになって。

 

美咲:それは…っ、そんなことないです。きっと、松下さんは生きるべき人だった。

手にするべき幸せがあったんです。

だから、そんな風に自分の幸せを抑えつけるようなこと、しないでください。

 

一真:…僕は、その人が掴むはずだった幸せの上に生きているんです。

だれかが失った幸せの上に自分が幸せを塗り重ねるなんて許されないんじゃないかって、思えてならないんです。

…ただでさえ、僕は恵まれすぎています。

芸術面への興味が湧いたことも、突然写真を撮りたいなんて思い始めたことも、すべて手術後のことでした。

すでに僕は、この人からたくさんのものを、何よりも新しい命を与えてもらっているのに…

これ以上を望んでしまったら、きっとバチが当たりますよ。

 

美咲M:松下さんは、苦く切ない表情を浮かべて心臓のあたりを掴んだ。

「三年前」「心臓移植」「芸術面への興味」彼から発せられる言葉の一つひとつを整理しながら…

私はふと、信じたくないある仮説にたどり着いてしまった。

 

美咲:…ま、松下さん、その手術を受けられた日って…何月、何日ですか。

 

一真:…?…5月20日ですけど…

 

 

 

美咲M:この瞬間、私の中で何かがつながり、同時に、何かが壊れる音がした。

私が松下さんの声に雄一の声を重ねてしまったことも、こうして松下さん自身に惹かれていたことも、

全部、全部、結局は彼の中に雄一を感じていたからなのだろうか。

視界が色をなくしていく。雄一を失ったあの時の暗がりが、また私の世界を染めていく。

 

一真:あの…西村さん…?顔色悪いですけど、大丈夫ですか?

 

美咲:…すみません、今日は、失礼します。

 

美咲M:私は逃げるようにして喫茶店を出ると、駅に向かってひたすら歩いた。

ようやく、また誰かに心を開けると思った。失う痛みとその恐怖から、解放されると思った。

そのくらい、松下さんが向けてくれる気持ちや言葉はあたたかくて、

彼とならまた前を向けるのかもしれないと感じていた。…それなのに。

私は、本当に松下さん自身と向き合えていたんだろうか。

自分の中にくすぶっていた拭いきれない何かを、彼で埋めようとしていただけなんじゃないか。

この数ヶ月間で交わした松下さんの笑顔や言葉がフラッシュバックして、うまく息ができなくなった。

感覚が薄れていく足をなんとか前に進めながら、私は自分の家とは逆方向の電車に乗った。

 

 

 

一真M:西村さんから告白…のようなものをされた時、僕は頭が真っ白になった。

純粋に嬉しかった。

この数ヶ月時間を共にする中で僕は確かに彼女に惹かれ、そばにいたいと思うようになっていた。

でも、同時にキリキリとした痛みを訴える心臓が、僕に警告したのだ。

お前に、そんな幸せまで手にする資格はない、と。

僕は正直に、この胸の内にずっと渦巻いていた気持ちを話した。

5月20日。僕に新たな人生が与えられた日のことを。

すると彼女の顔はどんどん青ざめていき、手術の日付を聞いた途端喫茶店から飛び出していってしまった。

すぐに追いかけたものの結局見つけられず、僕は一人家路についた。

 

 

【SE:アパートの玄関の扉が開く音】

 

一真:…ただいま。

 

一真M:東京に引っ越してきて早三年。

体調も落ち着きこの仕事を始めるようになってから一人暮らしも始めたものの、

帰宅直後のこの静けさにだけはどうにも慣れることができずにいる。

移植手術を受けると、ドナーの記憶やクセがレシピエントにも移るという話は耳にしたことがあった。

おそらく、突然開花した僕の才能も、この心臓の持ち主がくれたものなのだ。

…一人、この命をゆっくり大切にしながら生きていくと決めたはずだった。

それなのに、彼女の、西村さんの存在が頭から離れてくれない。

ずっと探していたものを見つけたような感覚だった。

この年齢になるまで恋というものを楽しむ時間も余力もなかった僕にとって、

いつしか彼女との時間は、『幸せ』の意味を感じられるかけがえのないものになっていた。

 

 

 

一真:西村さん…

 

一真M:発した言葉は頼りなく空気となって消えていく。

僕は、机の引き出しから一通の手紙を取り出した。

…手術から一年後、経過報告の手紙をドナーの方のご家族に書き、主治医の先生に渡してもらったことがある。

程なくして届いたのが、この返事だった。細く優しい筆跡で書かれた手紙の最後には…

 

一真:『どうか、貴方は貴方だけの幸せな人生を築いてください。』

…幸せって、なんですか。僕は、どう幸せになったらいいんですか。教えて、ください…

 

 

 

【SE:一軒家の玄関のドアが開く音】

 

美咲:…ご無沙汰してます。

 

沙也加:久しぶりね、美咲ちゃん。

 

美咲M:気がつけば、足がそこに向いていた。三年ぶりに訪れる雄一の実家。度々連絡を取り合っていた彼のお姉さんが出迎えてくれた。

 

美咲:突然お邪魔して、すみません。実は…雄一の心臓移植の時のことを、お聞きしたくて。

 

 

沙也加:(少し驚いて)…、いいわよ。もう…3年か。思えば、ちゃんと話したことなかったもんね。

あまりに突然のことだったから、私もしばらくは信じられなかった。

…知ってるかもしれないけど、うちは私が20歳、雄一が17の時にお父さんを癌で亡くしてるの。

ドナーがなかなか見つからなくてね…雄一はそれを本当に悔しがって、ドナーカードを持ち歩くようになったわ。

…使う機会なんて、来てほしくなかったのにね。

 

 

美咲:…。

 

 

沙也加:でもあの日、たまたま搬送された病院に待機リスト上位の方がいたみたいで。

これが雄一の意志なら、雄一のカケラが残るならって、お母さんと相談して移植に賛成したの。

美咲ちゃんにはゆっくり説明もしてあげられなくて、本当にごめんね。

 

美咲:いえ、私も、あの時はいくら説明を聞いても何もわからないような状態でしたから。

…その、提供先の方と連絡を取られたことはあったんですか?

 

沙也加:個人情報だからって、教えてはもらえなかったわ。

あ、でも…2年くらい前に、先生伝いでその人から手紙をもらったことがあるの。

ちょっと待ってね、たしか…あ、あった。

これよ。(立ち上がり、部屋の隅にある引き出しから手紙を取り出す)

 

美咲M:手渡されたのは、3枚の便箋が入った白い封筒。

術後の経過は順調で、仕事にも就くことができたという報告。

それから、ドナーになってくれたことへの感謝が何度も何度も綴られていた。

そしてその字は間違いなく、私がいつも目にしている、松下さんのものだった。

 

沙也加:不思議なんだけど、言葉選びっていうのかな、なんだか雄一が書いているような感じがしてね…。

すごく繊細であたたかい人なんだなって、雄一の命の一部をもらってくれたのがこの人でよかったって思ったわ。

でも、…人からもらった命で生きていることに罪悪感を感じたりしていないか、少し心配にもなったのよ。

 

美咲M:私の中で、2つの影がじんわりと重なっていく。

 

沙也加:ねぇ、美咲ちゃん。

 

美咲:…はい。

 

沙也加:貴方が雄一を心から大切にしてくれたのと同じくらい、私たちも貴方のことが大切なのよ。

だからどうか、貴方は貴方の幸せに満ちた人生を歩んでほしい。

 

美咲:私の、幸せ…

 

沙也加:雄一も、きっと何よりそれを望んでいるから。

 

 

 

 

美咲M:ずっと、考えていた。

私の中での雄一が徐々に色あせてしまうんじゃないかって、いつも必死にその面影を探し求めた。

だから、松下さんがその影を強めてくれるような気がしていたのだと思う。

だけど気づけば私は、写真を眺める優しい眼差し、ファインダーを覗く真剣な表情、

その心からこぼれる言葉…松下さん自身に惹かれていた。

彼の中には、たしかに雄一の命のカケラが生きている。

でも、それでも、私が今一番向き合いたいのは、大切にしたいのは____________

 

 

 

一真M:紅葉を見に行った日から一週間。

他の仕事とのスケジュールが重なり、西村さんにはあれから一度も会えずにいた。

メッセージを送るのも躊躇われ、ただ悶々としたまま時間ばかりが流れていく。

心臓移植。5月20日。彼女にとって、これが一体何を意味していたのか、僕にはまったく見当がつかなかったのだ。

その答えはいつまで経っても出てこない一方で、自分の胸の内に生まれた小さな感情は徐々にその輪郭をはっきりさせていった。

いつも笑顔で、穏やかで、どこか少し寂しそうな瞳を持った彼女に、僕は惹かれている。

何度自分に問い直しても、たどり着く結論は同じだった。

 

 

【SE:スマホのバイブ音】

 

一真:(画面に表示された美咲の名前を見て)…!もしもし、西村さん…

 

美咲:松下さん、いつも別れていた駅の前にある公園、今から来てもらうことってできますか。

 

一真:……分かりました。

 

一真M:まるで、これまで言えなかった何かを伝えると決めたような声色だった。

日はうっすらと傾き始め、空を柔らかいオレンジ色に染め始めている。

足を前に進める度、冬の訪れを告げる少し乾いた空気が喉をかすめて心臓に届き、その鼓動を早めた。

まるで、叶わなかった約束に手を伸ばすように。

どうしてか、そんな気持ちがこみ上げていた。

 

 

 

【駅前の公園】

 

一真:(息を切らしながら公園へやってくる)…っ、西村さん…

 

美咲:松下さん…この間は、すみませんでした。

それから今日は、貴方にお話ししたいことがあります。

 

一真:(美咲のそばに歩み寄り、ベンチに座りながら)…はい。

 

美咲:…私は3年前の5月20日、自分の誕生日に、結婚を考えていた人を事故で亡くしました。

当時は何も手につかなくなってしまって、しばらくは仕事も休んで抜け殻のように生きていたんです。

でもある日、彼が臓器提供のドナーカードを持っていたこと、

脳死判定を受けて、心臓を移植するための手術を受けていたことを知りました。

 

一真:えっ…、それって、まさか…

 

美咲:(ゆっくり頷く)彼のカケラがこの世界のどこかにあるんだって、そう思えただけでも救われたような気がして。

…ようやく時間が痛みを忘れさせてくれた頃、貴方に出逢ったんです。

 

一真:…。

 

美咲:貴方の声は彼の声と本当に瓜二つなんです。

だから最初は、彼がそばにいてくれるような感じがして。

少しでも彼の面影に浸っていたくて、貴方の目をちゃんと見ることすらできませんでした。

 

一真:西村さん…

 

美咲:無意識のうちに、彼と松下さんを重ねてしまっていたんです。

…でも、いつからか、その間にあるたしかな違いに気づくようになりました。

 

一真:違い…?

 

美咲:彼は…途切れることなくシャッターを切り続ける人でした。

まるで彼の周りの空間だけが、人の何倍もの早さで時を刻んでいるようで。

でも松下さんは、一瞬の中にある命の息吹とゆっくり丁寧に向き合う人なんだって気づいたんです。

…それに、言葉。

 

 

一真:写真と…言葉。

 

美咲:そう。貴方の紡ぐ言葉が好きなんです。

貴方にしか見えていない世界を映しているようで…だんだんと、私もその世界が心地よく感じるようになりました。

それで気づいたんです。私は、過去の記憶や面影ではなくて、松下さん自身と向き合いたいんだって。

貴方と一緒に、いろんな幸せを見つけていきたいんだって。

 

 

一真:僕は…僕は、ただでさえ命っていう最も尊いものをもらっているんです。

それに、僕自身の幸せなんて考えたこともなかった。

これ以上、求めたらいけないんじゃないかって…

 

美咲:…幸せは、求めるものじゃなくて、ただ、与えられるものなんじゃないでしょうか。

 

一真:与えられるもの…?

 

美咲:誰かからサプライズでプレゼントが送られてきたら、ひとまずポストを開けるじゃないですか。

びっくりしますけど、喜んで受け取って、お礼の連絡をするでしょう?

幸せって、そういうものなんじゃないかって思うんです。

…私は、松下さんにそういう贈り物をたくさんしてあげたいんです。

 

一真:……。…以前もお話ししましたが、僕はずっとこういった職種はもちろん、芸術分野からは程遠い人間でした。

臓器移植をすると、ドナーの記憶や特徴が受け継がれるケースが稀にあるんです。

命だけではなくて、こんな才能まで恵んでもらって。

こんなにもかけがえのないものをもらったんだから、もう何も望まず、求めず、生きていこうと思っていました。

 

美咲:…はい。

 

一真:でも、初めて西村さんに会ったあの日、懐かしいような、嬉しいような、切ないような…

今までに感じたことのない気持ちがこみ上げてきたんです。

最初は、この感情の意味がわかりませんでした。

でも、西村さんと一緒にいるとすごく優しい気持ちになれるんです。

目の前の世界が明るくなるんです。

これが…「幸せ」なんだとしたら、僕も貴方に同じものを与えられる立場でありたい。…僕自身の、心からの気持ちです。

 

美咲M:自然と、涙が溢れた。溢れて、溢れて、止まらなかった。失い、諦めたはずの幸せが今、目の前にある。

 

一真M:考えるよりも先に、僕は彼女を抱きしめていた。僕はずっと、自分の手で幸せというものに触れたかったんだと思う。そして、いま胸の中にあるものが、その答えだった。

 

美咲M:私は、松下さん…一真さんの胸にそっと耳をあててみる。ゆっくりと、でも力強く響く命の音。

 

一真M:彼女…美咲さんは、潤んだ瞳で僕を見上げた。優しい体温とともに、微かに伝わってくる命の鼓動。きっと、この世で最も愛おしい感覚。

 

美咲M:貴方の生きる音に、ずっと寄り添っていきたい。

 

 

 

一真(タイトル):君の鼓動に、くちづけを。

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